山を通れば山桃欲しや、身をも投げかけてゆすらば落ちよ、さてもつれなの山桃や
 といふのがあつた。記憶の誤りはあると思ふが何でもこんなのであつた。山桃は幾年か前からどんなのかと思つて心にかけて居たが博多で始めてたべて、此處でなつてる處を見た。こゝでは一合が一錢だ相だ。
 今日元寇の難に殉じた少貳資時の墳墓のある瀬戸といふ處へ行つて見た。料理店は無いから木賃宿で飯を食つた。有合の飯は麥八分に米二分であつた。子鯖が三疋、それと朝干した許りだといふ烏賊を燒いてくれた。これは甘かつた。それから五つも燒いて貰つた。それで幾らだと言つたら六錢くれと言つた。生來始めてこんな廉い勘定を拂つて見た。島の人間は言葉の丁寧なには驚く。

 松島の村から東へ海について行く。此れは東名の濱へ出るには一番近い道なので其代りには非常に難澁だといふことである。磯崎から海と離れて丘へ出た。丘をおりるとすぐに思ひ掛けぬ小さな入江の汀になつた。青田があつて蘆の穗も茂つて居る。蘆のなかにはみそ萩の花がしをらしく交つて居る。畦を拾つて行くと田甫が盡きて小徑もなくなつた。仕方がないから楢の木の間を心あてに登つたら往來があつた。丁度いゝ鹽梅に鰌賣でもあらうかと思ふ男が天秤を肩に乘せた儘ぶらつと兩手をさげて左の方から坂をのぼつて來たから一所になつて噺をしながら歩いた。男は松島のホテルへ鰻を賣つて歸りだとのことである。此所らの近道は此邊の人でも知つて知らずだのに能くわかつたと彼はいつた。鰻賣が教へてくれた道を來たら雜木の間で低い草葺のたつた一軒家へ出た。

 故人には逸話が多かつた。數年間交際を繼續して居た人々は誰でも他の人には知られない、單に自分との間にのみ起つた或事實の二つや三つは持つて居ないことは無いであらう。それが大抵は語れば一座が皆どつと笑ひこけるやうなことのみに屬して居るらしい。一體故人の生涯は恐ろしい矛盾の生涯であつた。矛盾といふことは人生の常態であるにしても故人のは殊に甚だしいのである。あの何事にも理窟が立つて時としては其弊に墮する程滔々として自己の意見と[#「意見と」はママ]發表し、往々にして對手を感服させるといふよりも寧ろ威壓して畢ふといふ程の力を有して居たにも拘らず、其相貌の何處といふことなしに滑稽な分子を含んで居て、聰明な後進の人々からは何時でも竊に微笑を浴せ掛けられて居たらうと思はれるのである。それが非常に度の強い眼鏡を二つも掛けなければ能く見ることが出來ない程の近視眼から遂に物事に間が拔けて勢ひ滑稽の分子が附纒うたに相違ない。